テント技術の豆知識【軍事用テント】

軍事用テント
 宗教と国家の名のもとに侵略と破壊が繰り返されてきたヨーロッパで、中世から多量に 使用されてきたものに軍隊のテントがあり、文書や絵画にその記録が残されている。
 軍隊のテントには、遊牧民のテントのように快適さを追求した細かな工夫はなされていないが、組立・撤去・運搬などの簡便性に工夫がこらされている。
 ただし、中世の軍隊の指揮官のテントには、豪華な装飾を施したものもあり、博物館に現物が残されている。
 オスマン・トルコは、東ローマ帝国の首都コンスタンチンノーブルを陥落させ、そこを イスタンブールと改名して以来、周辺諸国に勢力を広げヨーロッパまで侵攻した。
 イスタンブールの軍事博物館には、17世紀以後のトルコのサルタン(大臣)たちが宮殿や野営で使用したテントが多数展示されている。材料は綿と絹で、刺繍付き内幕もある。
 またトルコ軍はポーランドにも侵攻したが、その証としてサルタン(大臣)たちが残していった
  豪華なテントの一棟がクラクフのヴァヴェル城・王宮博物館に展示されている。
 さらにトルコ軍はオーストリアにも侵攻し、ウィーンを包囲したが陥落できずに退却した。
その様子は、まるで森の木々のように、画面一面に中央柱1本の円錐形テントが林立する絵画として、ウィーン市歴史博物館に飾られている。
 軍事用テントから離れるが、シャンジェリエ大通りとそこを左右に入った通りには、カフェや
   ブティックなどの美しい軒出しテントが連なっている。パリの軒出しテントには、 固定式と可動式(開閉式)があり、描かれる文字も美しく、パリならではの景観を生みだ している。