テント技術の豆知識【日本でも大型テント建築を目指して】

日本でも大型テント建築を目指して

アメリカやドイツでの実績に刺激を受けて、日本でも意欲的な建築家が膜構造に注目するとともに、業界の一部では膜構造の研究を始めていた。
しかし、日本の建築基準法は欧米に比べて新しいものには極めて厳しく、また、仮設建築物として分類される当時の膜構造は、設置期間が6カ月以内と短く、営業的にも苦しく、施主の見つからない時代が長く続いた。

その突破口となったのが、冬期だけ営業するアイス・スケート場の出現であり、まず東京に1棟、次いで大阪に1棟が建設された。東京は1965年11月、南千住の東京スタジアム・アイススケート場で、ミシン+目止液サスペンション膜構造で、膜材料はナイロン繊維布に塩化ビニール被覆であった。

一方、大阪は1966年12月で、大阪・野田スポーツ・センター・アイススケート場がそれで、空気膜構造で、膜材料はビニロン繊維布に塩化ビニール被覆のミシン縫いであった。
大阪万国博を目前にし、日本各地に地方博の時代が到来した。さらに大阪万国博後にも地方博の時代が再来し、日本全国に膜構造が出現した。